西海市松島に所在する炭鉱遺構である。かつて5つの坑口が存在し、そのうち第4坑は、現存する唯一の坑口であり、遺構として、第2竪坑跡、第2竪坑の巻揚機庫跡、変電所跡、守衛室、送電電柱などが残っている。
松島炭鉱第4坑跡は、大正3年(1914)開削に着手され、大正5年(1916)に掘削が完了し出炭を開始した。しかし、昭和9年(1934)坑内で出水事故が発生し、54名が犠牲となった。そのため、昭和12年(1937)に事業を中止し22年続いた松島炭鉱は閉山した。
長崎県の炭鉱は、長崎湾周辺と西彼杵半島周辺に集中しており、西彼杵半島周辺の崎戸・松島・大島炭鉱の一部である松島炭鉱関連施設は、長崎県内の炭鉱の歴史を構成に伝えるために重要な遺構である。大正から昭和初期にかけての炭鉱生産施設の遺構が残されており、当時の炭鉱作業場の景観が想起できる環境として保存されている。